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2016.05/20 [Fri]
精神的開眼の道
先日、少し過去に書いた記事を整理、消去させていただきました。
なぜなら、「今の自分にはもはやしっくりこなくなった」と感じるものも多々あったからです。
人にはそれぞれ、精神的成長の「段階」というものがあります。
以前の私は、ドリーン・バーチュー氏の「天使」に関するスピリチュアルな読み物を好んでいました。
ただ、その頃から「天使の名前」や「天使の役割」云々は、「多くの人が目に見えない存在を身近に感じるようにとの計らいによる「方便」」という捉え方をしていましたので、どっぷり信じ込んでいたというわけでもないのですが、女性にとってふわふわとした「天使」の優しいイメージはとても心安らぐ好ましいものですから、私もまた、「天使」というイメージに安らぎを見出して好んでいたのです。
ただ、様々な書物を読んだり、精神世界に関わるものにふれ、自分なりの精神的な道の歩みが進むにつれ、「天使云々」という装飾で文章やカウンセリング内容を飾り立てるのをやめ、もっと簡潔な文章で核心と向き合うべきなのではないか、と思うに至ったのです。
私は既に「心や思考の修復」というものに特化し、シンプルなカウンセリングにするために、カウンセリングレポートからは不必要な装飾を一切省いておりますが、以前に執筆したブログ記事は(作業が面倒だったこともあって^^;)そのままの状態だったのです。
しかし、人は皆、それぞれ「段階的」に精神的成長を遂げていくものであり、過去に自分が執筆したものは、「今の自分」にはもはやしっくりこない、そう思い、今回ある程度の過去記事を消去させていただきました。
人生において、苦しい状況を経験することは、ときとして大きく精神的成長を遂げるチャンスともなり得るものですが、最初から精神的な叡智を持ち得る人間などどこにもいません。
私たちは皆、そのときそのときの、自分の波長に応じて、段階的に、開眼を進めていくのです。
過去の自分が好んでいた「スピリチュアル」は、今となってはあまりにも物質的すぎてしっくりこない、ということは、多々あると思います。
しかし、それはそれで良いのだと、それは精神的成長の段階を経てきた結果として、ごく当たり前のことなのだと、自分では理解しております。
今後の活動ですが、私には「過去の自分と同じように、精神的暴力(もちろん、肉体的暴力もまた言語道断ですが)や依存で自由を奪われ苦しんでいる人がいたら、進んでサポートしてさしあげたい」という、自分なりの「愛」に基づく「思い」があります。
(もちろん、助けや助言を求められてもいないのに押し付けがましくおせっかいをする姿勢は、私は一切持ち合わせていません。あくまでも、「依頼」という形で「助けを求められたら」、ということです。)
過去の自分と同じように、というのは、私自身もまた、巷でいう「毒になる親(絶えず子供を支配し所有物のように扱う親)」からの支配に苦しんだ経験があり、精神的ダメージを負った心で生きることがどれほど苦しいものか、身をもって熟知しているからです。
このような自分なりの「思い」に基づき、私は今後も「(毒親だけでなく、夫婦間や兄弟姉妹間など、様々な関係において)傷ついた「心の修復」と「人生の建て直し」」をお手伝いするためのカウンセリングを続行していけたらと思っています。
初期のころにおいて、俗にいう「スピリチュアル」に関することも書いておりましたが、今の私は、結局のところ、心や思考の癖を修復すること以外に人生を立て直す方法はない、と理解しております。
その修復の作業のために、「宇宙における基本的な倫理」を持ち出すことはありますが、それはあくまでも「心」や「思考」を建て直し、「自尊心」を取り戻すためなのですね。
(依存や支配をする人間は倫理のすり替えに長けていることが多く、被害者はときとして「人間としてあるべき正しい姿」が分からなくなってしまうからです。)
これからも、「支配」や「自己顕示」ではなく(精神世界を説く人間でも、そのような邪念の強い人は意外と多い、と感じるからです)、「愛」に基づき、自分に出来ることを淡々としていけたら、と思っています。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
(^_^)

なぜなら、「今の自分にはもはやしっくりこなくなった」と感じるものも多々あったからです。
人にはそれぞれ、精神的成長の「段階」というものがあります。
以前の私は、ドリーン・バーチュー氏の「天使」に関するスピリチュアルな読み物を好んでいました。
ただ、その頃から「天使の名前」や「天使の役割」云々は、「多くの人が目に見えない存在を身近に感じるようにとの計らいによる「方便」」という捉え方をしていましたので、どっぷり信じ込んでいたというわけでもないのですが、女性にとってふわふわとした「天使」の優しいイメージはとても心安らぐ好ましいものですから、私もまた、「天使」というイメージに安らぎを見出して好んでいたのです。
ただ、様々な書物を読んだり、精神世界に関わるものにふれ、自分なりの精神的な道の歩みが進むにつれ、「天使云々」という装飾で文章やカウンセリング内容を飾り立てるのをやめ、もっと簡潔な文章で核心と向き合うべきなのではないか、と思うに至ったのです。
私は既に「心や思考の修復」というものに特化し、シンプルなカウンセリングにするために、カウンセリングレポートからは不必要な装飾を一切省いておりますが、以前に執筆したブログ記事は(作業が面倒だったこともあって^^;)そのままの状態だったのです。
しかし、人は皆、それぞれ「段階的」に精神的成長を遂げていくものであり、過去に自分が執筆したものは、「今の自分」にはもはやしっくりこない、そう思い、今回ある程度の過去記事を消去させていただきました。
人生において、苦しい状況を経験することは、ときとして大きく精神的成長を遂げるチャンスともなり得るものですが、最初から精神的な叡智を持ち得る人間などどこにもいません。
私たちは皆、そのときそのときの、自分の波長に応じて、段階的に、開眼を進めていくのです。
過去の自分が好んでいた「スピリチュアル」は、今となってはあまりにも物質的すぎてしっくりこない、ということは、多々あると思います。
しかし、それはそれで良いのだと、それは精神的成長の段階を経てきた結果として、ごく当たり前のことなのだと、自分では理解しております。
今後の活動ですが、私には「過去の自分と同じように、精神的暴力(もちろん、肉体的暴力もまた言語道断ですが)や依存で自由を奪われ苦しんでいる人がいたら、進んでサポートしてさしあげたい」という、自分なりの「愛」に基づく「思い」があります。
(もちろん、助けや助言を求められてもいないのに押し付けがましくおせっかいをする姿勢は、私は一切持ち合わせていません。あくまでも、「依頼」という形で「助けを求められたら」、ということです。)
過去の自分と同じように、というのは、私自身もまた、巷でいう「毒になる親(絶えず子供を支配し所有物のように扱う親)」からの支配に苦しんだ経験があり、精神的ダメージを負った心で生きることがどれほど苦しいものか、身をもって熟知しているからです。
このような自分なりの「思い」に基づき、私は今後も「(毒親だけでなく、夫婦間や兄弟姉妹間など、様々な関係において)傷ついた「心の修復」と「人生の建て直し」」をお手伝いするためのカウンセリングを続行していけたらと思っています。
初期のころにおいて、俗にいう「スピリチュアル」に関することも書いておりましたが、今の私は、結局のところ、心や思考の癖を修復すること以外に人生を立て直す方法はない、と理解しております。
その修復の作業のために、「宇宙における基本的な倫理」を持ち出すことはありますが、それはあくまでも「心」や「思考」を建て直し、「自尊心」を取り戻すためなのですね。
(依存や支配をする人間は倫理のすり替えに長けていることが多く、被害者はときとして「人間としてあるべき正しい姿」が分からなくなってしまうからです。)
これからも、「支配」や「自己顕示」ではなく(精神世界を説く人間でも、そのような邪念の強い人は意外と多い、と感じるからです)、「愛」に基づき、自分に出来ることを淡々としていけたら、と思っています。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
(^_^)
