メンタルセラピストりりあの心のブログ

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ブログは下から (随時更新中)

「自殺する」という「脅し」

世の中には、「そんなことしたら自殺する」「こういう風にしてくれなかったら自殺する」などと、「自殺」を持ち出して相手をコントロールしようとする人間がいます。

要は、「自殺」をほのめかして、相手を「脅し」て、望む状態を手に入れようとするのですね。

私たちは決して、このような「脅し」に屈してはなりません。

このようなことを言われたときに、動揺して、「わかったから、自殺なんてしないで。」などと口走ってしまったら。、相手の思うつぼなのです。

「自殺」をほのめかして人を脅すような人間は、「依存心」です。

相手が自分の思うように動いてくれないと、どんな脅しであろうと、泣き落としであろうと…)を使ってでも相手を動かし、自分の要求満たそうとするのですね。

「自殺」をほのめかされて「脅された」場合、相手の幸せ責任を負おうとしてはなりません。

私たちは皆、私たち自身の「責任」のもと、私たち自身の「選択」で、人生を生きているのです。

自分の幸せ責任は、自分自身にあるのです。

そもそも、自殺をほのめかすなどという「異常」を使って相手を「脅し」てまでも相手を操ろうとするなど、「第3者の介入」必要なほどの、「病んだ状態」であるということを、私たちははっきりと認識しなければならないのです。

第3者とはすなわち、警察精神分野でのサポートのことを指していますが、「自殺」をほのめかされるなどということは、本来、このような機関介入求めるべき事態なのです。

決して「自殺する」という「脅し」屈したり、軽く受け流したりすることなく、はっきりと、「異常事態」であることを認識したいものです。

宇宙3

「共通の敵」による結びつき

人間はしばしば、「共通の敵」を得ることでまとまろうとするものですが、(英語でも、「The enemy of my enemy is my friend (敵の敵は私の味方である)」という言い回しがありますね^^;) そのような上辺面「仲良しごっこ」は、所詮は長続きするものではありません。

ましてや、「故意」に、誰か一人を槍玉にあげて「スケープゴート」として「仕立て上げ」て全体の調和を図ろうとするなど、所詮は「陰謀」による「まやかしの和」でしかないのです。

そのようなネガティブ意図によって作られた人間関係は、ちょっとしたきっかけであっという間に崩れ去るような、非常にもろいものです。

それは、「共通の敵」という外部要因だけでかろうじてつながっている程度の人間関係だからであって、各々の内側にある「心」「心」のつながり、すなわち「(本物の)絆」が存在しないからなのです。

本物の「絆」とは、「共通の敵」など一切関係のない、お互いを「信頼」「認め」合う「愛」のもとにのみ、培われるものなのですね。

ネガティブ意図のもとに上辺面の結束をするのではなく、ポジティブ「愛」による、本物「絆」を大切にしたいですね

宇宙21

家庭環境で刷り込まれる行動パターン

昨日の記事で、「依存」による人間関係と「愛」による人間関係の違いについて書きましたが、「依存」によるすがりつき合いの強い家庭環境で育つと、いつしか人は、「少し不幸な自分」を常に演出して「妬み」「攻撃」防ごうとするをつけてしまいます。

劣等感が強く、誰かに「依存」しなければ自分の価値を感じられない人間は、常に「自分のほうが上」「自分のほうが偉い」という感覚を得たいがために、それが例え自分の子供兄弟姉妹であっても、相手に「少し不幸でいる」ことを無意識のうちに求めてしまうのです。

特に、そのような「依存心の強い」人間が、「親」であった場合、子供への悪影響並々ならぬものがあります。

このような親は、例えば、子供が「誰それさんに褒められた」と言えば「そんなお世辞、まともに受け取るんじゃないよ」、子供が「(広い世界で)こんな仕事をしたい」を持てば「あなたには無理よ、現実を見なさい」というように、常に「(相手が)自分のもとを離れていかないように」「自分が惨めにならないように」、子供を「下げる」言動を無意識のうちにしてしまうのです。

結果的に、子供をこき下ろしたりけなしたりする言動が多くなり、子供の自尊心深く傷つけてしまいます。

「依存心」の強い兄弟姉妹がいる家庭環境で育つと、子供は「完璧に幸せ」になることを許されないのです。

相手が完璧幸せを手にしたら、「私(私たち家族)のもとを去ってしまうかもしれない」という「恐れ」に支配されているため、常に「少し不幸でいること」余儀なくされるのですね。

そのような病んだ家庭環境において、常に「少し不幸な自分」演出する癖をつけてしまうと、そのとおりあなたが「不幸」だからこそあなたのことを好むような依存心強い人間をたびたび引き寄せてしまったり、不幸な自分を演出している内にいつしか幸せを感じることが実際になかなかできなくなってしまったりと、様々な精神的害があります。

自分の育った環境がこのような不健全「依存」による結びつきによるものだったと気づいた場合、ときとしてそのような「不幸を強いられる人間関係」毅然立ち向かうことが必要です。

それはすなわち、「相手がなんと言おうとも、自分の幸せを堂々と表現する」強さを持つ、ということなのですね。

それでもろく崩れ去るような人間関係であったとしたら、もともと大した「絆」など存在していなかったということなのです。

他の人間がどう思おうとも、「自分自身」の中に確固たる「幸せ」を感じながら、生きていきたいですねゴールド2

「愛」による結びつきと「依存」による結びつき

一見、が良さそうに見えても、実はそれが不健全「依存」による「すがりつき合い」「よりかかり合い」であるケースは多々あります。

その最大の特徴は、「不幸でいなければならない」ということにあるのです。

「いつも私のことを必要としているあなたでいて(そうすれば自分のことを惨めに感じずに済むから)」という「依存」を満たすには、相手がどこか「欠けて」いなければならないのですね。

つまり、「(自分を必要としないくらい)完璧に幸せ」であってはいけないのです。

例えば、「あの子は病気がちだから(私が面倒を見てあげないと)」「あの子は容姿が悪いから(私くらい可愛がってあげないと)」「あの子は頭が悪いから(私が助けてあげないと)」というように、「私がなぐさめてあげないとダメなのよ」という理由づけをいつも必要とするのです。

そのように相手を自分より「下げる」ことで、自分の価値実感しようとするのですね。

このような「依存」ですがりつき合っている人間関係の根底にあるのは、「(相手が自分のもとを去ってしまうというかもしれないという)恐れ」と、「(自分より幸せになって自分を必要としなくなるのは許せない、自分のほうが惨めに感じるのは許せない、という)妬み」なのです。

そのため、相手が最高幸せになったりすると、途端に、「まわりをかえりみない」「自分のことばかり」「どうせ私のことなんか必要ないんでしょ」などという、相手を糾弾する言葉が出てくるようになってしまうのですね。

「依存」による人間関係は、「双方」が常に不幸な気持ちを抱えていたり、どちらかが相手に「合わせて」(自分の幸せをさらけ出すことなく)相手が満足するよう振舞っている限り、一見仲の良い状態を維持することが可能ですが、どちらかが(相手の許容範囲を超えるくらい)「幸せ」になったり、「不幸なふりをするのをやめたり」した瞬間、その絆はもろくも崩れ去ってしまいます。

一方で、「愛」による結びつきは、お互いの幸せから喜ぶことができる、マイペース自立した関係です。

「愛」による関係は、基本的に、双方自分自身の中にちゃんと「幸せ」見出している(感じている)からこそ、可能となるのです。

不健全な「依存」ではなく、自立した「愛」による結びつきを、大切にしていきたいですね
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「意志(主体性)」のちから

先日、アメリカのとある大学が発行している読み物の中に、興味深い記事がありました。

ある貧しい地域において、きちんとした朝ごはんを毎日食べることも難しい状況の家庭の子供たちに食料を配るというプロジェクトの一環として、「バランスよく栄養をとることの大切さ」教え込み子供たちを啓蒙しようと試みたのですが、なかなか浸透しなかったそうなのです。

ところが、「子供たち(特に高校生を中心として)自身に、バランスのとれた朝ごはんのメニューを考案してもらい、それを実際に作って地域に配る」という、子供たちが「自分たちの意志行動するやり方に変えたところ、大成功を納めたとのことでした。

この記事を読み、やはり人間を最終的に高めるのは「自らの意志(主体性)」なのだと、改めて強く思いました。

他者から「こうしなさい、ああしなさい」命令されたり誘導されたりして、「従うべきだから」「ただなんとなく」「(逆らうのも)面倒だから」というような受動的かつ消極的な理由でそのとおりに行動しても、自分自身の人生好転させるほどのにはなりません

最終的に自らの人生を好転させ、精神的高みへと導くものは、自らの「意志」のちからなのですね。

自らの主体性(自主性)というものを大切にしていきたいと、改めて強く思いました。

空8

Carpe Diem

最近、Carpe Diem(カルペ・ディエム、「今を摘め(今を生きろ)」という意味のラテン語句)という言葉の重みをひしひしと感じています。

日本語の「一期一会」などもよく似た意味合いを持つ言葉ではないかと思うのですが、この世界において、すべては変化し、刻々移り変わっていくものなのですね。

「今」という瞬間は、二度と戻ってはこない、宝石のような輝きを持つ、かけがえのないものなのです。

最近、息子がまだハイハイしか出来なかった頃から彼を遊ばせるためにせっせと通いつめたキッズパーク閉店となり、そしてまだ小さかった息子を抱っこお昼寝させつつほっ一息つく時間を過ごしていたカフェ閉店となり…、と、小さかった息子(まだまだ小さいですが…^^;)との思い出が沢山詰まった場所が相次いでを閉じるということがあったのですが、何気なく当たり前のように足を運んでいた場所がいざなくなってみると、そこで過ごした時間がどれほどかけがえのない素晴らしい時間であったか、こみ上げてくるものがあるのですね。

「場所」だけでなく、そこでいつもあたたかく声をかけてくださっていたスタッフの方たちという、「人」との出会いもまた、実にあたたかいかけがえのないものだったと、ひしひしと感じるのです。

たとえそれが後々まで続く交流とはならなくとも、「あのときこんな温かい応対をしてくれた」「会うたびに何かと気遣う温かい言葉をかけてくれた」と、1瞬でもがつながった人のことは、決して忘れないものなのですね。

「今」というかけがえのない瞬間最大限愛しみ、そしてまた、たとえそれがほんの1瞬であっても、「今」共有するすべての人に対して、あたたかくありたい、と、改めて感じる今日このごろです。

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プロフィール

りりあ

Author:りりあ
心や思考の癖を修復するメンタルセラピスト(カウンセラー)として、クライアントの方がポジティブなエネルギーを取り戻し、より自由で幸せな人生へと飛躍していくためのお手伝いをさせていただいております。
(特に、「毒親に関する問題」など、「人間関係における根深い依存」を解き、家族など身近な人間から受けた支配による精神的ダメージを修復しつつ、「自由」を手にしていくためのサポートを得意としております。)

経歴:
哲学士(Bachelor of philosophy)として上智大学にて形而上学を専攻。心理学、精神医学など含め、「目に見えない領域」について多く学ぶ。
卒業後、外資系企業にて勤務。
その後、ブログ執筆及びカウンセリング及びヒーリングによるメンタルセラピーを開始。
2015年に高齢出産にて息子を授かり、現在子育て中。

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