メンタルセラピストりりあの心のブログ

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(人間関係におけるモラルハラスメント、過干渉、支配、依存など。自分自身の人生の自由と尊厳を守りたい、取り戻したい方のための、より具体的かつ実践的、そして丁寧で念入りなカウンセリングです。「高次意識メッセージ」および「遠隔ヒーリング」を含みます。クライアント様のメールアドレスへ、数ページにわたるカウンセリングレポートをお届けするスタイルですので、遠隔にいらっしゃる方でもカウンセリング可能であり、レポートを繰り返し読んでいただくことでより深い理解へと導くことが出来るというメリットがあります。特に初めてのクライアント様は、カウンセリングを受けていただくことをおすすめします。)
★「毒になる親(毒親、毒母)」に関するお悩みのためのカウンセリング
★「配偶者、兄弟姉妹、友人など」に関するお悩みのためのカウンセリング
★「離婚」「相続争い」など、調停や裁判における心理的サポートのためのカウンセリング
 など


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尚、高次意識のメッセージや、カウンセリングによるアドバイスをスムーズに理解していただくためにも、お申し込みの前に、少しでも私の執筆しておりますブログ記事に目を通していただき、多少の開眼をもってお申し込みくださるよう、お願い申し上げます。(^_^)

ブログは下から (随時更新中)

怒り

「どんなときでも怒らない」のが良い人というわけでは決してありません

「穏やか」なのはもちろん良いことではありますが、私たちはときに、自らを守るための「怒り」を感じて良いのです。

精神世界として地球に降り立ったイエス・キリスト不誠実な行いをしている人間に対して多いに怒ったという話もあるとおり、どれほど精神的成熟進化を遂げた存在であっても、怒るときは怒るものです。

「怒り」は、私たちを奮い立たせ、自らの尊厳を守るための、はたまた不正不実立ち向かうための、エネルギーとなるなのです。

もちろん、「あの人が言うことを聞いてくれない」「ちっとも自分の思い通りにならない」などと、人を都合よく操り、「支配」したいという幼稚エゴに基づく怒りには、大したエネルギーはありません

ここで言及している「怒り」とは、「正しいこと」「尊厳」を守るための「愛」に基づく、「正当」怒りのことを指しています。

私たちは決して、(下手に怒って器の小さい人に見られたくない)というような勘違いを、する必要はありません。

自分守るための正当「怒り」不必要否定することなく、ときにはきちんと「怒り」認識し、表現することで、自らをしっかり守っていきたいですね。

宇宙11

尊厳を守るための戦い

「理不尽」だと感じる扱いを人から受けても、「仕方ない」とあきらめて自分を納得させようとする人は数多くいます。

なぜ「仕方ない」と自分を納得させようとするのか、その理由はほとんどの場合において、「声をあげたところで、何かあったら困るのは自分のほう」という「恐れ」によるものでしょう。

例えば、職場において先輩や上司にあたる人間からイジメのような仕打ちをうけて「理不尽」を感じ、悔しさ怒りを感じることがあっても、「でもそのことで声をあげた結果として解雇でもされたら、仕事を失ってしまう。そうしたら困るのは自分だ」という「恐れ」

また、血縁者から絶えず「(相手の満足のために)こうしなさい」「ああしなさい」と要求され、それに従わないと罵倒されたり脅されたりするというような「理不尽」な扱いを受け、悔しさ怒りを感じていても、「声をあげたとしても、更に嫌な思いをするのは自分だ」という「恐れ」

もちろん、「声を上げる(相手の仕打ちに対して抗議したり償いを要求したりするために行動を起こす)ことのリスク」と、「(目をつぶって)現状維持した上で得られるもの」を天秤にかけ、「声をあげない」という選択をする自由は誰にでもあります。

しかしながら、「悔しいけれど仕方ない」というネガティブな気持ちのまま、自分自身の感じる「怒り」にきちんと傾けることもなく、ただただ「なかったこと」にばかりして逃げていると、私たちはいつしか自分自身に対する「自尊心」失ってしまうのです。

なかったことにしているつもりでも「怒り」感情体にどんどん溜め込まれ、自分自身に対する不甲斐なさ増幅し、いつしか「私は無力だ」「私なんてどうせたいした存在ではない」という、「自尊心」「欠如」へと姿を変えていきます。

結果として、何事に対してもやる気起きなくなってしまったり、何をやっても中途半端うまくいかなくなってしまったり、と、なるネガティブ事態起こり易くなるのです。

「自尊心」は、私たちの精神的エネルギーです。

だからこそ私たちはときとして、自らの「自尊心」を守るために、「理不尽」に立ち向かい戦う「勇気」を持つことが必要なのです。

自分を苛める人間の行為に対して「声をあげない(黙認する)」ということは、「私はそうされても仕方ない人間である」と認めるようなものだからです。

万が一、先に書いたように「声を上げる結果として起こり得るリスク」と「現状維持得られるもの」を天秤にかけ、「声を上げず現状維持のままにする」という選択をする場合、あくまでも「天秤にかけた結果、現状維持のほうが自分にとってメリットがあると判断したため、「自分自身」「意思」により、声をあげないという「選択」をした」という、「能動的(ポジティブ)」意識を持つことが何よりも大切です。

「悔しいけれど仕方ないどうにも出来ない」というネガティブ意識を持ち続けることは、「私は無力被害者である」という、自分自身に対する「不甲斐なさ」を感じ続けるのと同じであり、自尊心を著しく欠如させることへとつながってしまうからです。

自らの「尊厳」を守るために「戦う」勇気を持って、生きていきたいですね

アメジスト3

高齢者の依存心をやみくもに助長しないこと

少し前になりますが、電車の中でとあるネットスーパーCMを見て、思うことがありました。

それは「高齢のために、子供がネットスーパーで日用品の買い物代行してあげることができる」ということを謳ったもので、まだ60代くらいかと思われる母親が、30代くらいの娘に電話で「牛乳もお願い」と要請し、娘が快く「はいよ」と答えている映像なのですが、私にとっては非常に違和感を感じるものだったのです。

映像の中の母親が、どう見ても自力で生活するのが大変そうな、の曲がったおばあちゃまだとか、故障を抱えてになった状態で動けなくなってしまっている高齢者の方だったりしたら、そのような違和感を感じることはなかったと思うのですが、そのCMではまだまだ元気そうな母親がはつらつと娘に「次は牛乳も」なんて当たり前のように要請していたのですね。

もちろん、を重ねたことにより、体に不自由が生じてきたり、何気ない動作が難しく感じるようになったりということは多々あると思いますし、そのような不自由を感じている方(高齢であろうとなかろうと)にを差し伸べ、お互い助け合う、「愛ある社会」であるべきだとは強く思います。

しかしそれは、「高齢であっても、基本的自分で出来ることは自分でやって生き抜きたい」という、れっきとした「自立心」を持った上でのことなのです。

日本は今後ますます高齢者の人口が増え若年層の数が少ない逆ピラミッド型年齢構造になっていく国ですが、高齢だというだけで、子供やまわりの人間に何でも「やってもらって当たり前」という風潮を作るべきではありません。

高齢者というだけで若年の人間に「たよって当たり前」というのは、ただの「依存」であり、若年層の人間の自由奪う結果へとつながってしまいます。

高齢であろうとなかろうと、基本的に自分で出来ることは自分でやって生きるという「自立心」、そして万が一誰かの助けを必要とすることがあっても、「やってもらって当たり前」というふんぞり返るような態度若年の者を支配するのではなく、正々堂々と、「助けて欲しい」「お願い」する「礼儀」を持つことはとても大切だと思うのです。

(もっとも、人間の資質が歳をとったからといって変わることはなく、結局は、若い頃からこのような態度(自立心や正々堂々とした礼儀)を身につけているものは歳をとっても変わることなくそのまま若年層にも好かれる年配者になっていく一方で、若い頃から依存心のような人間もまた歳をとったからといって急に変わることもなく、そのまま若年層に依存し何かと支配しようとする年配者であり続ける、ということだとは思いますが…。)

高齢者のみならず、自力で生きるにあたって不自由がある方にをもって差し伸べるのと、ただ「高齢」だというだけで「依存心を促し甘やかす」のは違います。

最後まで人間としての自立心尊厳大切にして生き抜ける社会でありたいですね。

花21

子供を隷属化させてはならない

すべてのあるものと同じく、人間もまた、「子孫を残すために生殖する」術をもって産まれてきます。

しかし、ただ「親になる(繁殖し子供を作る)」のと、「良い親になる」のは別の次元のことなのです。

私たちの社会では、「母の愛」「親への恩」などというように、であるというだけで「ありがたがられるべき」であるかのような刷り込み美化が多分にありますが、残念ながら、世の中には、「良い親になる」能力ない人間も少なからずいるというのが事実なのです。

その筆頭が、(病的なまでに)「支配欲の強い人間」、そして「依存心の強い人間」なのではないかと、私は思っています。

どちらにしても、このような精神的未熟者(精神的に未熟知らない人間、とも言えます)の親が必ずといっていいほどすること、それが、「子供を隷属化すること」なのです。

支配欲の強い人間が親になると、「(親の)言うことを聞かなかったら放り出すぞ」「親の言うことを聞けないなんて、お前はろくでなしだ」というように、親という権力振りかざして子供をことあるごとに脅し、どのようなことでも(親である)自分の望む方向に動かそうとするようになります。

依存心の強い人間が親になると、「ママはあなたのことが必要なの。私から離れないでね」「子供は親の面倒を見るものだ」というように、子供の罪悪感良心つけこんでどこまでも子供に頼り、(子供の幸せなどお構いなしで)自分の身安定のために子供利用しようとするようになります。

いずれにしても、子供を、自分の「所有物(奴隷)」のように「隷属化」しようとするのが、このような「精神的未熟者」の人間の特徴なのです。

このような人間が「親」になることについて強く危惧し、「精神的未熟者なるべきではない」「(人格に問題のある人間が親になることを阻止するために)になるための資格制度を設けるべきだ」という意見を唱える識者もいます。

私自身、感情的には、そのような意見におおいに納得しますが、一方で、宇宙において「生殖し子孫を残すこと」もまた他のすべての生き物と同じく「個人の自由」であるため、それを他者コントロールするのは難しいのではないか、と思うのです。

ただし、「精神的未熟者が子供を隷属化し自由を奪う」というこのようなシチュエーションにも、「救い」はあります。

「生殖し子孫を残す」のが「自由な選択」ならば、「親から離れ自分の人生を生きる」のもまた、「自由な選択」なのです。

精神的未熟者でも子供を持つ「自由」があるなら、子供のほうにも、「精神的に未熟で子供を奴隷のように扱う親から逃げ自分の人生を生きる自由」が、おおいにあるのです。

この宇宙には、「個人の自由を尊重する」という「あるべき正しい流れ」というものがあります。

だからといって、子供を隷属化し自分の都合よく利用しようとする行為は、宇宙において、子供という「一個人」の自由、尊厳を奪う、「大罪」なのですね。

子供の自由認めてあげるに足る、十分な「愛」持ち得ている親が増えていくことを、から願っています。

花25

「毒になる親」の思考回路と精神構造

「毒になる親」(子供を肉体的暴力・精神的暴力で支配する親)の思考回路には、「尊重」というものがありません

彼らの思考の中には、「序列(上下関係)」による「支配・服従」しかないのです。

そのため、子供意思が自分と違うものであり、子供が自らの意見を主張すると、彼らは「(親である自分に)歯向かう不届き者」とみなします。

(自分の希望と異なる)子供の意思認めることは、彼らにとって「尊重」ではなく、「屈服」なのです。

そして、「なぜ親である自分が子供に屈服しなければならないのだ」と、「理不尽」を訴え、「逆切れ」するのです。

(この宇宙において最も重い罪(宇宙のあるべき流れに逆行するもの)は「個人の尊厳・自由を奪うこと」であり、このようなケースにおいて、を犯しているのは自身の望みや考えを主張する子供ではなく、それを(あくまでも自分のエゴのために)頭ごなしに否定して「子供の尊厳・自由を奪う「親」」のほうです。よってこのような親の怒りは、完全な「逆切れ」であり、「逆恨み」なのです。)

「毒になる親」思考回路の中には、「子供を傷つけた自分が悪い」といような考え方は一切ありません。

彼らにとって、子供の心を「つけた」ことなど、どうでもいいことなのです。

それどころか、「親である自分に歯向う不届き者だからそういう目に合うのだ」と、どこまでも自分を正当化していることが殆どです。

そのくらい、「毒になる親」の思考回路は、「序列による支配・服従」以外の何も受け付けない、短絡的凝り固まったものなのです。

彼らにとって、子供との「対話」など何の価値意味ないものなので、残念ながら「話し合うことで分かってもらえる(尊重してもらえる)」という望みをもって対話に挑んでも、期待を裏切られることが殆どです。

それどころか、「親である自分に歯向かった」と執念を燃やし、子供をどうにか支配しようと更に躍起になることも多々あるのです。

このような「毒になる親」に、「(子供を尊重する人間へと)変わってくれること」を望んでも、所詮無理な話、という場合が殆どです。

だからこそ、このような親の支配受け続けることなく自分の人生を取り戻すには、「逃げる」ことが大事なのです。

しかしながら、ただ「逃げる」だけでは、再び親に「捕獲」されてしまう可能性もあります。

その場合、「親が震え上がるほどのダメージを負わせる」という形で、「反撃」が必要になってくるのです。

このような親は、「対話」「尊重」という、「愛」に基づく世界ではなく、「序列」「支配・服従」そして「脅し」という、「恐れ」に基づく世界に生きています。
(この場合の「世界」とは、物質的な「世界」のことではなく、どのような精神構造階層に身を置いているか、という、「精神世界」のことを意味しています。)

よって、このような親を黙らせるには、「愛ある言葉」「対話」ではなく、ときに「脅し返し」が必要となるのです。

このようなケースにおいて、「警察」「法律」など、公的機関を持ち出すのは、有効な手段となります。

ある人間にとって、他者を「脅す」という作業精神的苦痛を伴うものですが、自分自身の尊厳を守るための「Necessary Evil(必要悪)」としてそれが必要になることも、ときにはあるのですね。

宇宙22

アドバイスを受け入れる準備

誠心誠意をこめてアドバイスをしても、ときには逆切れのような態度で硬くする人もいます。

このような方は、自分にとって最も有益かつ必要情報を、受け入れる準備が出来ていないのですね。

自分では「アドバイスを聞きたい」つもりでも、その表面的な態度とは裏腹に、の中は「恐れ」で一杯で、とにかく「大丈夫だと言って欲しい」「自分の正当性を認めて欲しい」という、すがりつくような依存心で満たされてしまっているのです。

そのため、自分の「こう言って欲しい」というすがりつくような欲求相容れないことを言われると、感情的になり、躍起になってそれを否定しようとしたり、アドバイスを与える立場の人間を逆切れめいた言葉で攻撃したりしてしまうのです。

人は、「どんなアドバイスを受けようとも、絶対に「自分自身の力で」状況を好転させたい。乗り越えたい。」という強い思いがないと、真にアドバイスを消化することはできないものです。

精神療法にしても、肉体的な療法にしても、はたまた習い事や学びに関することにしても、人からアドバイスを受けるにはまず、依存心(相手に「自分にとって都合のいいこと」を言って欲しいと無意識に期待する、恐れに基づいた気持ち)を手放し、「自分自身の力で」問題に向き合い学ぶ「心の準備」必要なのですね。

逆にアドバイスを与える立場としては、「誠心誠意」「愛」をこめて真剣に相手に向き合うこと、また「なるべく相手のに届きやすいように、表現気をつけること」は勿論ですが、万が一そのようにしたにも関わらず相手から拒絶逆切れのような不愉快な態度を見せられたとしても、「自分は自分に出来るベストを尽くした。その結果相手がどのような反応を見せても、そこから相手自身問題である」ということを強く認識し、強く持つことが大切です。

アドバイスを受ける側も、与える側も、「心の準備」がとても大切なのですね。^^

冬4

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プロフィール

りりあ

Author:りりあ
感情体に残る傷や不健全な思考・行動パターンを修復するメンタルセラピスト(カウンセラー)として、クライアントの方がポジティブなエネルギーを取り戻し、より自由で幸せな人生へと飛躍していくためのお手伝いをさせていただいております。
(特に、「毒親に関する問題」など、「人間関係における根深い依存」を解き、家族など身近な人間から受けた支配による精神的ダメージを修復しつつ、「自由」を手にしていくためのサポートを得意としております。これらはすべて、学業のみならず自身の生まれ持った資質(「目に見えない領域」に対する感度が高い)、及び経験に基づくものでもあります。)

経歴:
哲学士(Bachelor of philosophy)として上智大学にて形而上学を専攻。心理学、精神医学など含め、「目に見えない領域」について多く学ぶ。
卒業後、外資系金融機関に身を置く。
その後、ブログ執筆及びカウンセリングによるメンタルセラピストとしての活動を開始。
現在、高齢出産にて授かった息子の子育て中。

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